日本漢文の世界:本の紹介

書名 頼山陽
副題 詩魂と史眼
シリーズ名 岩波新書 新赤版2016
著者 揖斐 高(いび たかし)
出版社 岩波書店
出版年次 令和6年(2024年)
ISBN 9784004320166
定価(税抜) 1,120円
著者の紹介 著者(1946-)は成蹊大学名誉教授。
所蔵図書館サーチ 頼山陽 : 詩魂と史眼(岩波新書 新赤版 ; 2016)
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本の内容:

 頼山陽(らい・さんよう、1781-1832)の生涯と作品を概観できる新書本は、これまで存在していませんでした。頼山陽は現代日本では忘れられた存在だったからです。そうなった事情を著者は「あとがき」の冒頭に書いています。
 アジア・太平洋戦争後の日本は戦前を否定することに急だった。戦前にもてはやされた思想や文化は、日本を敗戦に導いた元兇として断罪された。幕末に勤王討幕のイデオロギーとして利用され、明治維新後の人々の歴史意識の形成に大きく影響した頼山陽の『日本外史』もまた、戦後になると否定的な評価に晒され、顧みられなくなった。
 「戦後」の呪縛からようやく解放され、やっと再評価されてもよい時代になったにもかかわらず、頼山陽は世間からすっかり忘れ去られてしまいました。彼の表現手段である漢詩文を理解できる人も少なくなり、彼の文学を読む人はほとんどいないのが現状です。
 そうした中で、本書は頼山陽を果敢に再評価するのです。

 本書は三部構成で、第一部は頼山陽の出生から晩年までの事績、第二部は『日本外史』などの作品論、第三部は頼山陽の臨終とその後の遺著出版となっています。
 第一部の前半生の伝記は簡潔すぎるくらいですが、頼山陽のことを全く知らない今日の読者が彼がどのような人物だったかを理解できるように工夫されています。
 第二部の作品論が本書の中心なので、その内容を見てみましょう。
 第十章(「勢」と「機」の歴史哲学)は、令和3年(2021年)に宮中の講書始(こうしょはじめ)において、著者が今上陛下に御進講まいらせた内容です。(「あとがき」本書285ページにその事情が書かれています。)
 著者は、『日本外史』や『日本政記』にあらわれた山陽の歴史哲学は、中国古典の『孫子』にヒントを得た「勢」と「機」の歴史哲学であるとしています。
 山陽は、歴史の原動力を人間の力を超えた「勢」というものに求め、「勢」によってもたらされる歴史上の治乱興亡の「変」を、人間は根本的あるいは究極的には変更することができないという。しかし、「勢」によってもたらされる歴史上の治乱興亡の具体的なあり方については、歴史における一瞬一瞬の局面の「機」を洞察し、それに働きかけて新たな「機」を作り出すことによって、人間がコントロールすることは可能であると考えた。つまり人間は常に変化している歴史の局面局面の「機」に働きかけることによって、歴史に、積極的に参与でき、歴史を具体化することができると山陽は捉えたのである。つまり、山陽のいう「機」とは、人間が歴史に対して主体的に関わりうる根拠を示す、歴史哲学上の概念であった。こうした歴史における「勢」と「機」という概念の設定と、両者の相関的な関係の考察にこそ、山陽の歴史哲学の特徴があった。(本書第十章144-145ページ)
 要するに「勢」を見きわめ「機」を失わずに行動すれば成功できるのです。
 『日本外史』には、平治の乱のとき挙兵をしぶる清盛に対して重盛が「機失うべからず」と挙兵を強く勧める場面、桶狭間の戦いに望んで信長が決戦をしぶる家臣たちに「地利をたのみ以て事機を失い自ら滅亡をとる者、少なしとなさず」と説いて決起を促す場面などが描かれています。こうした決断が大きな成功を導きました。
 しかし、「勢」と「機」で歴史を捉えようとする考え方は、当時主流であった朱子学から見れば異端でした。山陽の親友・篠崎小竹は、「歴史を論ずるに当たって大切なことは、時の君主の明暗(賢明か暗愚か)であって、『勢』と『機』という概念によって組み立てられた山陽の歴史哲学は、朱子学的な歴史観からは逸脱している」(本書第十章145ページ)と批判しています。
 一方で、『日本外史』にも朱子学的歴史観は取り入れられています。
 朱子学では、君臣の名分(身分による分限)が特に重視されますが、わが国では君臣の名分よりも天皇家を優先しなければならないとする「大義名分論」が提唱されました。『日本外史』はこの「大義名分論」に基づく尊王主義で一貫しています。(本書第十一章156ページ)
 大義名分論からすれば、「覇者」にすぎない武家が、天皇の位を犯すようなことをすれば必ず身を亡ぼします。たとえば、太上天皇の位を望んだ足利義満は、名分を越えたゆえに天罰を受けて早世したのです。(本書第十一章173ページ)
 頼山陽はこうした「大義名分論」の観点から、当時の将軍・徳川家斉が天皇から「太政大臣」の宣下を受けたことは、名分を越えた不当な行為だと考えました。しかし、将軍を直接批判すれば必ず筆禍事件となります。そこで頼山陽は『日本外史』末文で「ここに至ってその盛を極む」と太政大臣の宣下をあえて慶賀しました。『日本外史』末文に込められたアイロニーを正確に読み取ったのは、吉田松陰ら幕末の志士たちでした。幕末の志士たちは『日本外史』から尊王主義を学んだのです。(本書第十一章183ページ)
 『日本外史』の精彩ある戦闘場面は『春秋左氏伝』(『左伝』と略する)の筆法を参考にしています。頼山陽は「他の歴史書が戦闘場面で将軍ら幹部軍人を中心に描いているのに対して、『左伝』では兵卒を中心に描いている」(本書十三章207ページ)と言っていますが、武家政権の治乱興亡と、それに関わる人間の姿を躍動的に描くために、彼は『日本外史』に『左伝』の筆法を取り入れたのです。また、読者に分かりやすい平明な漢文を用い、会話部分にはわが国の俗諺・俚語をあえて取り入れました。(第十四章228ページ)こうした工夫を重ねた結果、『日本外史』は多くの人を魅了し、大流行することになったのです。
 筆者は京都で主催している勉強会で『日本外史』を教材として使っています。やさしい漢文で書かれているので初心者でも理解しやすく、よく知られた日本史のエピソードが題材で、描かれた人物が躍動していて面白いので、漢文入門の教材として最適です。頼山陽が今後再評価されるのであれば、学校教育でも『日本外史』を教材として取り入れてほしいと思います。

2024年12月7日公開。2025年6月28日一部修正。

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