伝記:
金陵は、亀田鵬斎に学び、浅草に塾を開いたが、のち駿河田中藩主本多侯に仕え、藩政改革に携わり、多くの功績があった。
米艦が来航したときには、海防を論じて幕府の違勅をただそうとしたり、公武合体の議が成って将軍が上洛するに際しては、山陵の修復や皇族の薙髪禁止を建議したりして、憂国の士として尊王の志を明らかにしている。
文久2年(1862年)に昌平黌教授に迎えられ、ついで博士となる。安井息軒、塩谷宕陰とともに文久三博士と称されている。
維新後は明治政府に仕えて昌平学校(東京大学の前身)の教授となったが、明治3年の廃校とともに免官となり、晩年は後進の指導に専念した。明治11年、77歳で没。
2002年4月28日公開。