伝記:
犀潭は、農家の出身であるが、学才を認められて藩校時習館で学んだ。22歳で学業優秀のゆえに、名字帯刀を許され、天保6年(1835年)31歳のとき藩主侍読となり、江戸詰となる。天保13年(1842年)には世子侍読となった。このころ松崎慊堂のもとに出入りし、慊堂のもとで塩谷宕陰、安井息軒らと知り合い、終生の親交を結んだ。
安政元年(1854年)世子が没してからは、諸公子の侍読を務めた。文久2年(1862年)、京都滞在中に幕命により昌平黌教授に招かれたが、藩への報恩を理由に謝絶し、熊本に帰った。(安井息軒『木下子勤墓碑銘』)
外交官・漢学者として活躍した竹添井井、政治家の井上梧陰、漢学者の元田東野など、すぐれた弟子を育てた。
町田三郎著『明治の青春(続明治の漢学者たち)』(研文出版)に「韡村・宕陰・息軒」「韡村補説」の記事がある。
2002年1月14日公開。2010年3月26日一部追加。