伝記:
岡山の倉敷に生まれる。倉敷の蘭医・石坂桑亀(いしざか・そうき)の婿養子となり、養父の後をついで岡山藩侍医となった。
安政年間には電気器具を医療に応用していたほか、緒方洪庵から種痘法を伝授されて実施するなど、積極的に最新医療の摂取に努めた。
明治10年、当時流行していた寄生虫・肝吸虫(肝臓ジストマ)を、死亡した農民を病理解剖することにより発見した。この大発見は『医学雑誌』に発表され、先生の名を不朽にした。
また、勤王の志をもち、児島高徳の事跡の考証に努めた。わが国の近代史学の創始者といわれる重野成斎博士が「児島高徳は実在しなかった」との新説を発表したとき、先生は高徳実在説を唱えて一歩も譲らず、重野博士を論駁してやまなかった。
そのほかにも、本草学(植物学)や、書画、琴などにも才能を発揮するなど、非常な多才であった。
明治18年に上京してからは、専ら風流の道に精進した。
陸軍軍医総監の石坂惟寛(いしざか・いかん)は養子。
2008年9月21日公開。