伝記:
豊城は、越後の貧家に生まれた。幼時より学を好み、郷里で木村環洞に師事して漢籍を学んだが、家事の合間を見ての苦学だったという。21歳のとき、師のすすめで、丹後の野田笛浦のもとに赴いたが、到着したとき笛浦は既に没していた。その後、江戸に上り、塩谷宕陰の学僕となる。宕陰は、その才を愛し、養子縁組して別家を相続させようとしが、豊城の両親が許可せず、実現しなかった。
明治2年、郷里の水原県学校教授に任じらたが、同3年廃校となり、その後は家塾を開いて教授した。
明治8年4月、上京して修史館三等協修に任じられ、同21年文科大学教授となり、没するまでこの職にあった。同24年文学博士。同30年帝国学士院会員。
大正6年9月10日、脳膜炎で没。享年79。
2003年8月10日